ビキニフィットネスの黎明期。オールジャパン選手権などのステージで、その中心にいたのは愛知出身の選手たちだった。2016年のオールジャパン選手権では35歳以下級163㎝超級とオーバーオールで安井友梨選手、同163㎝以下級で倉地美晴選手、同158㎝以下級で藤松直子選手と愛知勢が3階級で優勝。IRONMAN2017年5月号では、この3選手の鼎談企画も組まれた。
安井選手はオールジャパンで連覇を続け、日本のビキニフィットネスの象徴的な存在に。倉地選手ものちにIFBBプロとなり、「MIHARU」の名で活躍。ともに日本を代表するビキニアスリートへと成長を遂げていった。
そんな中、ステージからそっと離れていったのが藤松選手だった。2017年のオールジャパン選手権で4位になったのを最後に戦線から離脱。忽然と姿を消した。
「その2017年当時、私は35歳で、すでに子どもが1人いました。1人だけでは寂しいしですし、年齢的にも一旦ここで競技に区切りをつけて、妊活をしようと思ったんです」
結果がどうであれ、そこで大会からは離れることを決めていたという。そして、2019年8月に2人目のお子さんを無事に出産。競技から距離を置いたといっても頭に「引退」の2文字はなく、産後約半年後にはトレーニングを再開するに至った。
「筋肉がかなり落ちていたので、トレーニングだけはとにかく早く始めたかったです。体力も落ちていましたし、疲労もたまりやすかったので、再開した当初はかなりしんどかったです。筋肉には休息も必要とよく言われますが、疲れがなかなか取れなくて、週1回トレーニングをするのが精一杯でした」
ただ、当面の目標は身体を元に戻すこと。競技への復帰は1年先になるか、それとも2年先になるか、自分でも読めない状態だった。
しかし今年、地元・愛知でのSPORTEC CUPの開催が決定。これはチャンピオンクラスの選手のみがエントリーできる、フィットネス競技の祭典のようなコンテスト。モチベーションの向上につながると思い、藤松選手はわずか3週間前に出場を決意。6月19日、約4年ぶりとなるステージ復帰を果たした。
「(子育ては)まだ落ちついていないのですが、娘がもう中学生なので、面倒を見てくれます。私はビキニに専念するというより、競技と家庭を両立させていきたいと思っています」
今回は惜しくも決勝進出はならなかったものの、ここから積極的に大会に出場していきたいという藤松選手。かつて頂点に立ち女王となった女性が、1人のアスリートとして再び始動した。
「競技がある生活は、やっぱり違います。自分が若々しく、キャピキャピしていられると言いますか。家庭に入って子育てのみになってしまうのではなく、外に出て輝いていたいです。自分は自分のペースで、この競技を続けていきたいです」
(取材:藤本かずまさ 撮影:中島康介)
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執筆者:藤本かずまさ
IRONMAN等を中心にトレーニング系メディア、書籍で執筆・編集活動を展開中。好きな言葉は「血中アミノ酸濃度」「同化作用」。株式会社プッシュアップ代表。