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6.13RIZIN直前!渡部修斗インタビュー。継承された修斗遺伝子で朝倉海に挑む

シューティング(現修斗)創設者・佐山サトルの愛弟子、渡部優一の遺伝子を持つ渡部修斗は、3月のRIZINで修斗世界バンタム級1位の田丸匠に得意のマジカルチョークで一本勝ち。RIZINバンタム級トーナメント出場権を獲得し、一回戦では朝倉海に挑む。渡部親子初対談で強さのルーツを探った。

取材・写真:安村 発

シューティング(現修斗)創設者・佐山サトルの愛弟子、渡部優一(左)の遺伝子を持つ渡部修斗(右)

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──修斗選手は小さい頃はどういうお子さんだったのですか。
優一 僕とは違って穏やかで大人しく優しい性格で、保育園では女の子から逆にからかわれて泣いてしまうような子でした。
──修斗という名前はご自身が修斗をやられていて、将来的に修斗をやらせたいことからそう名付けられたのですか?
優一 それは皆さん誤解しているのですが、僕がやっていた時の修斗の競技名は〝シューティング〟と呼ばれていて、〝修斗〟という言葉には、格闘技だけでなく人生にある様々な斗い(たたかい)を修めることで人として成長していくという意味があり、佐山サトル先生がシューティングの精神性を説く上で作られた言葉だったんです。ですから私はその意味に魅かれて息子に付けました。この子が生まれて2、3年後にシューティングが修斗という競技名になりました。ちなみに修斗の弟の名前は拳士郎(けんしろう)、妹は夢璃亜(ゆりあ)といいます。
──格闘技を始めたのはいつからですか?
修斗 小学校5年生の時に、父から「見学だけだから」と言われて弟と一緒に連れて行かれたのが柔道場で、翌日にはもう入会させられていましたね。中学で柔道部に入って町道場にもいき、「柔道が強くなるためにレスリングも必要だ」と父に言われて、レスリングも並行してやりました。最終的にレスリングの成績が良く特待で高校進学してレスリング部に入りました。
──最初からMMAをやらせようとは思いませんでした?
優一 頭の中に全くなかったですし、自分が現役の時にキツイ想いをしたので、子供にはそんなキツイことはやらせたくないなと。柔道やレスリングで組んで投げたり抑え込むというのは問題ないけど、小学生の時に殴るというのは必要ないと思っていました。

渡部優一 × 渡部修斗

──小さい頃の才能はどうだったのですか?
優一 拳士郎はもう格闘技はやっていませんが、僕と修斗と拳士郎の3人で一番才能があったのが拳士郎だったんです。もしかしたら柔道でオリンピックに出ていい成績を残すのでは? と思ってしまうぐらいの才能を持っていたので期待していましたが、修斗には何も期待していませんでした(笑)。
修斗 何か弟だけ特別な練習をしていたわけでもなく同じ練習環境だったのですが、弟は才能があったんでしょうね。とにかく僕は才能がないだけでなく運動神経も良くなかったですし、今でもよく不器用だと言われます。
優一 私も才能も何もなく、現役の時は人の二倍やっていい勝負ができて、三倍やってやっと勝てるという選手だったんです。足利工業大学附属高校レスリング部時代は練習でぶっ飛ばされて罵られても付いていったのでインターハイ個人戦60㎏級で優勝し、シューティングでもチャンピオンになれました。生まれた子供も一生懸命やってNEXUSでチャンピオンになってRIZINにも上がれるようになったわけですが、そこまでの道のりはみんなが思っているような綺麗な道のりではありませんでしたね。
──お父さんが修斗のチャンピオンだったことでプレッシャーはなかったですか?
修斗 周りから修斗のチャンピオンの息子だと言われて、そういう目で見ないでくれよとは常に思っていました。アマチュア大会に出てもただの選手なのに、注目されるんです。高校の時にレスリングをやっていた時は、父がインターハイで優勝していることもあって自分も日本一にならなきゃという想いでやっていましたが、大きな大会の途中で敗退し、俺ってこういうところで終わるんだなと。ずっとこういう想いで続けたくはない、普通の生活を送りたいと思って、大学ではレスリングを続けることなく綺麗さっぱり辞めました。
──渡部選手はどうして一度格闘技を離れて次にMMAをやろうと思ったのですか?
修斗 当時はテレビでHERO,S、DREAMを観るのが好きで、大学から上京して2009年の大晦日に初観戦したのが魔裟斗さんの引退試合がメインだったDynamite!!の大会でした。テレビで見るのと違って演出が凄かったですし、会場の熱気も凄く、選手の入場シーン、戦っている姿がカッコよすぎて、僕もプロになったらこういうところで試合ができるのかなと思って、すぐにジムを探して吉祥寺のジムに入会したんです。
優一 最初にMMAをやると聞いた時は、なんでそっちにいったんだろうと思っていましたが、若い頃に僕と同じスーパータイガージムに通っていた家内は、修斗は絶対にMMAをやり始めるんだろうなと思っていたみたいです。
──MMAをやり始めてからはお父さんからアドバイスを受けることはありますか?
優一 3月の田丸匠戦の前に初めて僕の道場に来たよね?
修斗 そうですね。自分から父に教わりことがあったので「行きたい」と言って父の道場で練習して、父も僕が今いるストライプル新百合ヶ丘まで指導をしに来てくれました。
──どうしてお父さんに稽古を付けてもらおうと?
修斗 これで負けたら最後というか、自分としては限界を感じていたので、ここで負けたら今以上は行けないという気持ちでいました。自分が憧れていた大舞台のリングに立つことはできましたが、ただ立って終わり、またそこから今までと同じNEXUSといったインディーのリングに戻って試合を重ねることになるなと。もちろん相手の田丸選手は強いし、僕が圧倒的に不利なのは分かっていましたが、仲間は自分の勝利を信じていましたし、後悔したくない、とにかく勝ちたかったので父のところに行きました。

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