昨年度、悲願だったオールジャパン選手権を制した直野選手。筑波大学で学生時代を過ごした彼は、スポーツエリートたちに囲まれ、劣等感を抱きながら生きていたという。そんな直野選手を救ったのが“ 筋トレ”だった。
取材:藤本かずまさ 撮影:北岡一浩、中島康介(大会写真)
取材協力:鍼灸接骨院IWAMOTO
――オフシーズンの直野選手はでかいんですね! 現在、102㎏あるとか。
直野 減量をしていない時期は自然と体重が増えていきます。これまでも、増量しようと思って増やしたことはありません。
――以前はモデルをやられていたそうですね。
直野 僕が学生のころ、銀座のアバクロのお店がすごく流行ったんです。友人と一緒にスタッフの面接を受けたら、友人は受かって、僕は落ちてしまいました。友人はアバクロのモデルになるために筋トレを頑張るようになって、そこで僕も負けじとやるようになりました。そして彼がモデル事務所に入ったので、僕も負けじと入ったというのが経緯です。ただ、僕は筋トレにのめり込み過ぎて、モデルの仕事が取れなくなってしまいました。
――スポーツ歴は?
直野 小学生のころからバスケットボールやっていたんですが、大学生になってレベルの高さに打ちのめされて、すぐに辞めてしまいました。僕が在籍していた筑波大学の体育専門学群は、スポーツのエリートが集まるようなところだったんです。僕は常に劣等感の中で生きていました。ただ「体育専門学群」という肩書がある以上、ひょろいと格好悪すぎるので、やんわりと筋トレだけはやっていたんです。
――その筋トレにのめり込んだきっかけは?
直野 モデルの仕事につながるプライズがほしいと思っていた時期に、ちょうどベストボディ・ジャパンが始まったんです。2014年からコンテストに出場するようになったのですが、初戦の結果は3位でした。他の選手のレベルの高さに打ちのめされて、そこでスイッチが、がっつり入りました。これは今もそうなんですが、筋トレをしていて、自分が成長できている実感がずっとあったんです。このまま成長していけば、いつかは逆転できると思いました。僕はバスケットでは、ずっと副キャプテンだったんです。子どものころから何かで一番になりたいという欲を持っていたんだと思います。
――コンテストで一番を目指すようになって、最初に取り組んだことは何だったのでしょうか。
直野 まずは食事です。3食でちゃんと肉を食べるようにしました。またプロテインも1日に3~4回飲むようになりました。
――分割は?
直野 変わりました。それまでは「胸」「背中」「腹筋」というひどいサイクルを組んでいました(苦笑)。そこから14年は「胸」「背中」「肩」「腹筋」の4分割、15年は「胸」「背中」「肩」「腕」の4分割で、「腹筋」は毎回やるようになりました。16年からは、さらに「脚」が加わった5分割になりました。そうして続けていくうちに「トレーニングがうまく進められていれば身体はでかくなる」という確信を得られるようになりました。特にここ1~2年でそういったことを強く感じるようになりました。
――トレーニングで重視いていることは何でしょうか。
直野 その筋肉の作用を忠実に再現することです。具体的には、機械的に動くと言いますか、動かしたい関節以外は動かさないと言いますか。例えば、ベンチプレスだと腕だけを動かすような感覚です。あとは関節の回転です。関節が回転する軌道にしっかりと負荷を乗せることを大事にしています。
――本日拝見したトレーニングでも、基本種目を丁寧にやられている印象を受けました。
直野 目新しいものが何もないので、見ていてつまらなかったと思います(苦笑)。僕はトレーニング関連のSNSでは、トップビルダーの動画と海外のプロ選手の動画しか見ません。ボディビルダーの方の動画はとても参考になります。機械的に、きれいに動いているんです。まさにトレーニングのお手本です。
――直野選手自身は、基本種目をやり込みながら感覚を磨いているという感じでしょうか。
直野 そうすることで自分独自のポイントなどが見つかってくると思います。ベンチプレスに関しては、僕は上下の運動というより、(腕を)外に開く運動だと思っています。以前は腹直筋の上部にバーを下ろしていたのが、剣状突起の少し上あたりに下ろすようになりました。そのような、自分にとってちょうどいいポイントを見つけられるようになってきました。ダンベルのショルダープレスも、ワイパーのように関節が回転するイメージで行うようにしています。
――JBBFに出場するようになったのは?
直野 16年からです。仙台開催のオールジャパン選手権が初戦だったんですが、ズタボロにされて予選落ちでした(苦笑)。
――翌17年にはオールジャパン選手権6位、18年は2位、19年に優勝と、着実に階段を上っていきました。
直野 ところが、19年に出場した3大会ではズタボロにされているんです。逆に言えば、そこでズタボロにされたからオールジャパン選手権で優勝できたんだと思います。18年にオールジャパン選手権で2位になって、少しテングになった部分があったのかもしれません。そのあと、すごく甘い状態で世界選手権に出たんです。そこで6位になってしまったので、サイズがあれば甘くてもいいんだと勘違いしてしまいました。そして19年のスポルテックカップでは予選落ちしました。
――甘い状態のまま出てしまったのですね。
直野 すごくショックでした。その4日後にあった日中韓親善大会では6人中の5位、翌月のアジア選手権では7人中の4位でした。もうオールジャパン選手権に出るのは辞めようと思いました。でも、帰国して、空港で寺島(遼)選手と梅田(亮)選手から「絶対に絞らなきゃダメだよ」「ここで辞めるなよ」と言われました。そこから毎朝、寺島選手にその日の体重とお腹の写真を送るようにしたんです。
――寺島選手にチェックされながら絞るようにしたんですね。
直野 寺島選手には感謝しています。僕は「絞り」というものに対して、気持ちが甘すぎました。
――減量中の食事について教えてください。
直野 減量中もそうではないときも、基本的には同じものを食べています。鶏の胸肉、白米を1日に4食です。胸肉は普段は1日1㎏、減量中は600g。お米は普段は1日3合、減量中は白米1合に麦ご飯50gを混ぜたものを2回に分けて食べています。他にはキノコやタマネギ、トマトペーストなどです。減量中は朝食前、トレーニング後に有酸素運動を1時間入れています。
―― アイアンマン6 月号では「究極の腹筋BEST25」にも掲載させていただき、そこでは「腹筋の種目はここ3年ほどやっていない」と。
直野 そうだったんですが、鈴木雅さんの僕に関するコメントが短くて、それがすごくショックで最近はやるようにしました。
――その際の取材では腹筋がすぐに攣ってしまうとおっしゃっていました。
直野 はい、案の定アブローラーの1セット目で攣ってしまいました。でも、無視して2セット目をやったら治まったんです。3セット目も大丈夫でした。トレーニング面では、今年はルーマニアンデッドリフト(RDL)もやるようにしました。これまでRDLにはネガティブな印象しかなかったんです。
――それはなぜでしょう。
直野 僕はハムストリングが弱いんですが、ハムが硬くて、可動域も出せないし、腰ばかりがつらくて、効いているのかよく分からなかったんです。でも、ハムを大きくするためにRDLをやっている人は多い。それで実際にやってみたら、可動域も確保できて、ハムへの刺激もよかったんです。だから、僕にはまだまだやっていないことがたくさんあるんです。それをひとつずつやっていき、少しずつ身体がよくなってきたというのはあると思います。
――本当にトレーニングが好きなことが伝わってきました。
直野 僕は多分、報われることが好きなんです。時間を投じて取り組んだことが結果的に報われるから、筋トレにのめり込んだんです。
直野賀優(なおの・よしまさ)
1991 年11 月25 日生まれ、宮崎県出身。筑波大学体育専門学群卒。身長182㎝、体重82kg(オン)102kg(オフ)。2014 年のベストボディ・ジャパン東京大会フレッシャーズクラスで大会デビュー。2016 年からはトレーナーとして活動。
主な成績
2017 オールジャパン選手権メンズフィジーク40 歳以下176cm 超級 6 位
2018 SPORTEC CUP メンズフィジーク 4 位
オールジャパン選手権メンズフィジーク 40 歳以下176cm 超級 2 位
世界フィットネス選手権メンズフィジーク182cm 以下級 6 位
2019 オールジャパン選手権メンズフィジーク 40 歳以下176cm 超級 優勝
2019 アジア選手権メンズフィジーク182cm 以下 4 位
2019 世界選手権メンズフィジーク 182cm 以下級 5 位
トレーニング以外の趣味:バスケットボール
好きなトレーニング種目:「強いて言えばベンチプレスです」