トレーニング

鈴木雅が日本チャンピオンに初めてなったとき語ったこと

ボディビルを始めてわずか2年の2005年にミスター東京となり、旋風を巻き起こした鈴木雅選手。勢いそのままに、29歳という若さで2010年、JBBF日本ボディビル選手権大会で初優勝を果たした。 ボディビルへよせる信念や始めたキッカケについて、当時のアイアンマンから振り返る。

取材:IM編集部 写真:岡部みつる

IM まずは、ボディビルに目覚める前のお話から伺いたいのですが、小さい頃からスポーツをやっていたと聞きました。
鈴木 はい。野球やサッカーが好きで、友達とよく遊んでいました。小学生のときは、 礼儀作法の勉強として剣道も習わされていましたね。ガキ大将ではありませんが、どちらかというと落ち着かないタイプでしたから、家にいるよりも外で体を動かしているほうが性にあっていたんです。
IM 学生時代は?
鈴木 中学と高校では野球に専念していま した。正直、練習するのはあまり好きではなかったのですが、自己鍛錬は好きでした。 腕立て伏せをやったり走ったりと、能力を高めるために自分で考えて実践するのが楽しかったのを覚えています。その頃から、練習 やトレーニングというものは、人に言われてやるのではなく、自分でやるべきものなのだと思うようになりました。豪速球投手のノーラン・ライアンのピッチャーズバイブルという本を読んだのですが、ウエイトトレーニ ングを積極的に取り入れて体作りをしたと書かれていて、その本でもやる気が高まりました。高校に上がったとき、体重は40キロ後半くらいしかなくて痩せていたんですけど、高校一年の冬に父親に頼み込んでバーベルを買ってもらい、ベンチプレスをするようになって60キロを超えるようになりまし た。投げる球のスピードも速くなりました。
IM ボディビルのウエイトトレーニングを 本格的に始めるようになったのはいつからですか?
鈴木 大学三年生の頃からです。自己鍛錬は好きでしたので、ウエイトトレーニングをはじめようと多摩ジムに通い始めたんです。 本気を出してというよりも、ややミーハーな気持ちではじめたんですよ。でも、トレー ニングを始めると、すぐに70キロ半ばまでになりました。
IM すぐに体ができあがるのはすごいと思います。
鈴木もちろん、あとはトレーニングや食事も、積極的に知識を得て実践するようにしていました。
IM どういったところから知識を得ましたか?
鈴木 アイアンマンなどの雑誌もそうですが、一番は人からですね。多摩ジムで中央大学ボディビル部の中島君に出会い、いろいろな雑誌やビデオを見せてもらいました。そのなかに、1995年の日本選手権の映像があったのですが、小沼さんや高西さんらのすばらしいステージを見て、ボディビルっていいものなんだなと思うようになったんです。あと、すごい偶然なのですが、小学校の恩師だった斉藤先生という方が、ミスター福島だったんです。図工の時間にベランダで日焼けしていたり、サプリメントを摂っていたりしていて、当時は変わった人だと思っていたのですが(笑)。筋肉がすごくて、生徒からの人気もあって、すごく印象深かったんで す。 今ではマッスルアイランドというジムを経営されていて、実家に帰ったときはそこにお邪魔してトレーニングをしています。こうした出会いや経験が、ボディビルへとつながっていったのだと思います。
IM 大学を卒業を卒業してからは?
鈴木 ひとつのことを追求したい性格でトレーニングを仕事にしたいと考えて、ゴールドジムに就職しました。それからはボディビル一直線。自分で考えた理論をすぐに実践出来たり、ミスター日本になられた小沼さん田代さんをはじめ、お手本となる人が身近にいるという環境は、とても恵まれていますね。
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